ご存じの通り、上場企業の多くは、本業の他に広い分野に亘って新規事業を展開し、企業としての安定をはかると共に、その可能性にチャレンジしております。私も、一事業家として規模は遥かに劣りますが、常に新規事業に対して目を向けその情報を集めて参りました。
その私にとって、保証事業という聞き慣れないビジネスは、大きな驚きと共に、限りない可能性を感じさせてくれました。私が縁あって代表顧問の権利を取得し、保証事業の仕事に参加したのが、昭和58年のことです。そして昭和60年に初めて、この業務での年商が一億円を超えました。
この世の中でたったゼロから出発して二年余りで、これだけの収入をあげたのが余程珍しいことなのか、いくつかの出版社からは、その体験を取材させて欲しいという打診がありましたが、すべてお断りしたといいますのは、折角苦労して作り上げたノウハウを、僅かなお金で一般に公開する気にはなれませんでした。
昭和57年12月、ある雑誌の広告を見て「身元保証」という変わった仕事のあることを知り、早速資料を取り寄せ研究した結果、時代の先見性・独占性・収益性・将来性を痛切に感じ、早速権利を取得することに決断致しました。
こう書くことはいかにも簡単ですが、どうしてどうして当時の私にとっては、清水の舞台から飛び降りるような心境でした。ひょっとしたら世間によくあるように、金だけ集めてドロンしてしまう会社かも知れないのですから。当然のことながら、本部に足を運び、事業内容に対する裏付けを一つ一つ確認することにしました。
1)保証證券は保証人として受け入れ側に認められているだろうか。
2)事故が発生した時、本当に代弁しているだろうか。
3)代弁(損害金)を支払っていくと、保証協会は倒産しないだろうか。
の三つに絞って質問しました。
先ず、一番目の「證券が保証人として通用しているか?」ということに対して、本部の回答は「口頭で説明致すより、事実をご覧下さい」と分厚い実例集を見せてくれました。それを見ますと、上場企業を含む各企業、大学、銀行に保証人として保証證券が納入されている事実を確認することが出来ました。
二番目に事故が発生して代弁していると言う銀行等の領収書および代弁先の振込控えの綴り等を見て、確認することが出来ました。
三番目は、損保会社のように保証手数料の約30%は代弁に当てるため、預託金として常にプールしてあり、仮に、代弁の支払いが集中し収支のバランスが崩れても證券の手数料を引き上げることも可能で、現に賃貸借の2号證券は事故率が高く、当初の7,000円が12,000円に引き上げられていました。又、損保等の保険会社と違って、求償権がありますから代弁支払い後、元金を回収できるわけで、その心配は無用とのことでした。
このように一つ一つ確認していく中で最終的に決断できたのは、
1)従業員を雇うことなく、兼業として保証業務ができること。
2)どの地域にいても、北海道から沖縄まで出張する事無く、利益を追及でき、しかも人々を保証の悲劇から救済できる公益が大であること。
3)400年の歴史的な保証の業務であり、全ての国民が必要としている保証業務である。
4)三千万、五千万、一億円という目的を設定して従業員を雇用することなく出来る。
5)全国都道府県の各地域の代表顧問の上限数が設定されており、過当競争がないこと。
その頃の私は、衣料品、身の回り品等の販売を営んでおりましたが、大型店の出店により当時の売り上げも頭打ちの状態になり、将来のことも考慮に入れ、一大決心を致しました。正式に権利を取得したのは昭和58年1月で、業務を開始したのは3月のことでした。
その間、業務方法等を徹底的に研究し数々のノウハウを得ることに成功し3カ月目よりコンスタントに収入が入るようになり、それまで兼業で行っておりましたが、その年の8月にそれまでの商売に見切りをつけ、この保証業務に専念することにしました。
それまでの数々の貴重なノウハウ駆使することによって、ついに昭和60年には年収で1億665万円の収入を得ることが出来ました。又、
私の体験をご縁あって指導した方々にもお教えすることによって、その中から年収で一千万円〜三千万円という方が何人も現われてきたのです。当初は、各顧問の年収があまりに多く、疑って信用もしておりませんでしたが、やる以上は年収で三千万円の二分の一か、四分の一ぐらいを目指してスタートしたのですが、それが現実の数字となって実現したのです。
現在は、生活レベルも以前より格段に向上し、将来のために資金を蓄積しております。「空理空論は何の役にも立たない、体験で得たものほど強いものはない。」これが率直な私の実感です。この業務は、これまでになかった新しいものであるだけに「ちょっとしたコツ、やり方」を教えてもらえるかどうかが、成功、不成功の大きな分かれ目になってしまうのです。そこで私は今迄の貴重な体験によって体得出来たノウハウを、ご縁あって私が指導する方々には惜しみなくお教えすることによって、共々に繁栄していきたいと願っております。
以上で、私の過去13年間にこの業務で体験した実感をありのままに書かせて頂きました。